チベット旅行記17 

奇智紳士を飜弄ほんろうす
 暫くするとその紳士と老僧が私の所へ尋ねて来まして「時にあなたはシナ人であるというがシナはどこか。」「福州フーチュです」というと「あなたはシナ語を知ってるだろうな。」こりゃ困ったと思いましたが「知って居ります」というとその紳士は大分にシナ語が出来ますのでシナ語を使い出したです。

私はそんなに深く知らぬものですからちょっとした事しか答えは出来ぬ。甚だ困りましたが俄にわかに一策を案出した。「あなたの使って居るシナ語はそりゃ北京語だ。私のは福州の言葉ですっかり違うからとても話が分らぬ」というと紳士は「あなたはシナの文字を知って居るか。」

「知って居ります。文字で話をしましょう」と言って鉛筆で書き立てますと彼には解わかる字と解らぬ字があったものですから「こりゃとても文字でも話をすることが出来ぬ」という。

「そんならチベット語で話をしましょう」といってチベット語で話をすることになりまして、だんだん話が進みついに紳士は「あなたは陸から来たというがチベットのどこから来たか」と尋ねますから「実はラサ府からダージリンを経へてブダガヤへ参詣さんけいに来たのであります」というと紳士は「ラサ府のどこに居られるのか。」

「セラという寺に居ります。」「セラにジェ・ターサンのケンボ(大教師)をして居る老僧が居るがあなたは知って居るか。」「そりゃ知らん事はない」といって、幸いに私がラマ・シャブズン師から聞いて知って居った事ですからうまく答えが出来たです。知って居る話ばかり聞いてくれればよいけれどもそうでないと化ばけの皮が顕われますからあまりむこうから尋ね掛けないように機先を制して、かねてシャブズン師から聞いて居った機密きみつの話を持ち掛けた。

それはシャッベー・シャーターという方はこの頃自分の権力を張るために大分にテンゲーリンに対し悪意を持って居る様子であるという次第を説明したところが、紳士は大いに私を信じてもはや一点も疑いないようになりました。シャブズン師に聞いたお話が大分に活用できた訳でございます。

尋ぬる人に邂逅かいこうす その紳士は語を改め「あなたはこれからネパールへ行くというが誰の所へ尋ねて行くか。これまで行った事があるか」という。「いや一度も行ったことはない。それゆえに紹介状を持って来ました。」「それはどこの誰からの紹介状ですか。」

「実はカルカッタにおいてネパール政府の大書記官ジッバードルという人から紹介状を二通貰って来ました。その紹介状はネパールの摩訶菩提マハーボーダの大塔だいとうのラマにあててあるのです。そのラマの名は忘れましたがその書面には書いてあります。このジッバードルという人は領事としてチベットに八年ばかり居って大変によくチベット語の出来る人です」

といって委くわしくその紹介状を貰った手続を話しますと、紳士は「そりゃ妙だ。その紹介状を書かれたジッバードルという人は私の友達だが一体誰に宛ててあるのか私にその書面を見せてくれまいか」というから「よろしゅうございます」といって荷物の中からその紹介状を出して示しますとジーッとその上書を見て居りましたが「こりゃ奇態だ、この書面で紹介された主は私です」という。


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プルパペンダントトップ

プルパペンダントトップ

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プルパペンダントトップ チェーン付
男女どちらでもOK!! 
あまり見たことのないデザインながら、
ワンポイントで簡単に取り入れられます。
文句なしのインパクトです。
ファッションのアクセント、お守りにもどうぞ。
サイズ
縦約23mm
横約30mm
素材
 
…プルパ…
チベットの土刀が密教者の法具となったものです。
諸神が持つ武器であるといわれ、魔を刺し殺し、法を守るとされます。


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星ペンダントトップ[61115]

星ペンダントトップ[61115]

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星ペンダントトップ
銀色の星のペンダント。
シンプルなので飽きがこないデザインです。
星空の輝く星をあなたの胸に輝かせてみてはいかがですか?
男の子、女の子どちらでもOK!!ペアでもOK!!
胸元に輝く星。神秘的な力が舞い降りそうな気がしてこない?
そんな魅力を感じます。
紐を通す部分の穴が小さいため、
チェーンの金具をはずさないとチェーンはとおりません。
サイズ
直径約30mm
革ヒモ70cm付き
素材
ホワイトメタル

…星…
古代、星は神に等しい存在でした。星の規則正しい運動は、
宇宙の美と秩序の象徴とされます。
星のお守りは、その神秘な力によって持ち主を守護します。



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チベット旅行記16 菩提樹下の坐禅

菩提樹下の坐禅 私はダージリンからカルカッタに着きいろいろ旅行用の買物をしましたが、その時にネパール国政府の書記官で今はチベットへ公使に入〔行〕って居るジッバードルという人からネパール国に入ってから都合よく行くようにとのことで、二つの紹介状をネパールのある紳士に当てたのを貰もらうことができました。

その月の二十日頃ブダガヤに参りました。その当時ブダガヤにダンマパーラ居士こじが来て居られて、いろいろ話しましたが、折柄居士は「あなたがチベットへ行くならば法王にこの釈迦牟尼如来しゃかむににょらいのお舎利しゃりを上げて貰いたい」と言って舎利をおさめた銀製の塔とその捧呈書とそれから貝多羅葉ばいたらようの経文きょうもん一巻を託たくされました。

でダンマパーラ居士の言われるには「私も一遍チベットに行きたいけれどもなかなかあちらから来いというような許しでもなくてはとても入って行くことは出来ないだろう」と言うような話でありました。私はその夜ブダガヤの菩提樹下ぼだいじゅかの金剛こんごう道場で坐禅を致しましたが実に愉快の感に堪えなかった。

釈迦牟尼如来が成仏じょうぶつなされた樹の下で私がまた坐禅することの出来るのは実に幸福しあわせであると我を忘れて徹夜致しましたが、菩提樹には月が宿りその影が婆娑ばさとして金剛坐こんごうざの上に映って居る景色は実に美しゅうございました。その時に

菩提樹ぼだいじゅの梢こづゑに月のとゞまりて
    明けゆく空の星をしぞ思ふ
という歌を詠じました。

二日逗留とうりゅうの後ブダガヤから北に向い汽車でネパールの方へ出掛けました。一日一夜を経てネパールの国境に近いセゴーリという所の停車場に一月二十三日の朝着きました。その停車場から向うへ二日行けばネパールの国境に着くのですがそれから先は英語も通用しなければチベット語も通用しない。

インド語を知って居れば進むに差支さしつかえはない訳ですけれども、私はインド語もよく知らなければネパール語も知らない。ネパール語を知らんでは何一つ物を買うことも出来ず道を尋たずねることも出来ぬ。唖おしの旅行ではとても目的を達することはできないから、まずこのステーションに止まって幾分かネパール語の練習をしなければならぬ必要が生じたです。

ネパール語の俄稽古にわかげいこ 幸いにセゴーリの郵便局長をして居るベンガル人が英語も知って居ればネパール語も知って居りますからその人に就ついて学び始めた。まあ盗人を捉えて繩を綯なうような話です。けれども今日までは専らチベット語ばかり学んで居りましたから外の言葉を学ぶ暇がなかった。

学んだ所は一々手帳に記し道を散歩しつつその手帳を頼みにネパール語の復習をするのですが、私がそこに着いてその翌日例のごとくネパール語の復習をしつつ散歩して居りますと、汽車から上って来た人の中にチベット服を着けた四十恰好かっこうの紳士と同じくチベット服を着けた五十余りの老僧とその下僕しもべともいうべき者が二人、都合四人連の一行がこちらを指して来るです。

「こりゃよい所にチベット人が出掛けて来た。どうかこの人に一つ話をつけて一緒に行くような都合になればよいが」と思いましてその人の端はたに行き「あなたはどちらへお越しですか。」「私共はネパールの方に行く」という。「それじゃああなたがたはチベットから来たのですか。」

「いやそうでもないけれどもこの中にはチベットから来た人も居る」という。で私に向っていいますには「あなたは一体どこか。」「私はシナです。」「どちらからお越しになったのか。海の方から来られたかあるいは陸の方から来られたか」という。

 ここでもし私が海の方から来たといいますと彼らの疑いを受けて私は到底ネパール国にも入ることが出来ない位置に在るのです。というのはこの時分に海の方から出て来るシナ人はすべてチベットには入れぬ事になって居ります。

陸の方から来たといえば大抵チベットから来たという意味になりますから、そこで私は「陸の方から来た」と答えて話をしつつ私の泊って居ります茅屋あばらやの方へ一緒に参りました。私の泊って居る所は竹の柱に茅葺かやぶき屋根というごく粗末な家でその向う側にもまたそんなような家があります。

それは皆旅人の泊る所ですが別段宿賃を払う訳でもなしただ薪代まきだいと喰物くいものを買うてその代を払うだけの事です。その紳士の一行も向い側の茅屋あばらやに入ってしまいました。もちろんこの辺にはホテルなどという気の利きいたものもなくまた宿屋らしいものもない。その木賃宿が旅籠屋はたごやであるです。



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チベット旅行記16 祝聖の儀式

祝聖の儀式
 明治三十一年の一月一日には例年のごとく祝聖の儀式を挙げ、天皇皇后両陛下及び皇太子殿下の万歳を祝するため読経致しそれから一首の歌を詠よみました。
ヒマラヤに匂ふ初日の影見れば
    御国の旗の光とぞ思ふ

 この一年間は実に昼夜チベット語を専門に修める事ばかりに費やしました。その結果として大抵これならばまあチベットへ行っても差支さしつかえあるまいというだけ俗語の研究も学問上の研究もほぼ出来て来ましたから、いよいよ翌明治三十二年にチベットへ行くという決定を致しましたけれども、道は

いずれの道を取るか ということについて自ら調べなければならぬ。その道についてはダージリンから直じかに東北に出でニャートンを通って行く道もあり、その横に桃溪の間道もあります。それからまたカンチェンジュンガという世界第二の高雪峰の西側を通ってワルンというチベットの国境へ出て行く道もあり、その外ほかにシッキムから直に〔カンバ城に〕入って行く道もありますけれども、いずれも関所もありあるいは関所のない所には番兵が見張をして居りますから容易には入れない。

サラット博士の説では「ニャートンの関所へ掛り、我は日本の仏教徒で仏教修行に来た者であるから入れてくれろといって懇切こんせつに話をすれば入れてくれぬ事もあるまい」といわれたけれどもそれは到底とうてい駄目だめです。私がチベット人について充分研究したところによるとそういう方法は取れない。その外にブータンとネパールとの両国について道を発見することが出来る。

 その両国の中私にとって最も利益の多い道はネパールの方であります。ブータンには仏陀の古跡もなければまた研究するものも少ない。もっともチベット仏教の高僧の旧跡などはありますけれどもそういうものは私にとっては余り貴重〔必要〕の事でもない。

ただ必要なのはネパールにはいろいろの仏跡もありまたサンスクリット語の経文もあり、よしチベットに入り得られぬまでもこれらを取調べに行くということはよほど有益な事であります。殊にこれまでは欧米人が入って居るけれども日本人でネパールへ入った者はまだ一人もないのでございます。我々の研究する価値のある国ですから道をネパールに取ることが最も必要であります。で、いよいよ

道をネパールに取る ことにきめました。そこで直にダージリンから西に進んでネパールに行くことができれば美しい山水の景色を見ることもでき、また仏跡にも参詣することができて誠に好都合ですけれどもまた危険な事があります。

このダージリンに居るチベット人はかねて私がチベットに行くためにチベット語を研究して居るということを皆聞き知って居るものですから、私がチベットの方向に向って出立すれば必ず跡を踉つけて来て私を殺すかあるいはチベットまで一緒に行って、チベット政府へ告口つげぐちをすれば賞金を貰もらうことができるという考えで注意して居る人が随分あったです。

それゆえにその追跡を免れるためには是非とも外の方法を執とらなければならぬ。そこで私はサラット博士だけにはチベットへ行くという秘密を明かしたけれども、その他の私に語学を教えてくれたラマ達には俄にわかに用事ができて国へ帰ると告げてダージリンを出立しました。

幸いにその時には国の肥下、伊藤、渡辺諸氏の尽力で六百三十ルピー送ってくれましたから、その金を持って一旦カルカッタへ参りましたのは明治三十二年の一月五日であります。その出立の時分に一首浮びました。
いざ行かんヒマラヤの雪ふみわけて

    法のりの道とく国のボーダに
 ボーダというのはチベットの国の名でサンスクリット語でそういうのであります。



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チベット旅行記15 天人の悲嘆

天人の悲嘆
 尊者は弾指だんし三たびに及んでもはや我を死刑に処せよという合図を致しましたが、死刑執行官吏は自分自ら尊者に手を掛かけて川の中へ投げ込むに忍びず潜然と涙を流して見送人と共に嘆なげきに沈んで居る様はいかにも悲惨の状態であったです。

ところで尊者は静かに言わるるには「もはや時が来たのにお前達は何をして居るのか早く我を水中に投ぜよ」と促されて、立会官吏も泣きながら尊者の腰に石を括くくり付けその石と共に静かに川に沈め暫くして上に挙げて見ますと、尊者は定じょうに入られたごとくまだ呼吸を引き取って居りませぬ。そこでまた一度沈めた。もうお逝かくれになったろうと思って挙げますとまだ定じょうに入って居らるるようで死に切りませぬ。

 この体ていを見るより見送人は「この際どうか助ける道がないものか」と歎いて居りますと、死刑執行者も大いに歎いて今度は沈めることをようしなかった。その時に当り尊者は静かに両眼を開き役人に向っていわるるには「汝なんじらは決して我が死を歎なげくに及ばぬ、我が業力ごうりきここに尽きて今日めでたく往生するのは取りも直さずわが悪因業あくいんごうここに消滅して今日より善因業を生ずるのである。

決して汝らが我を殺すのでない。我は死後チベット仏教のいよいよ栄えんことを希望するのみである。早く水中に沈めてくれるように」とせき立てられて役人達は泣く泣く水中に沈めて上げて見るともはやお逝かくれになって居ったという。それから尊者の死体を解いて手は手、足は足で水に流してしまったそうです。

私はこの事を聞いて悲しみに堪えられなかった。私がもしチベットに入って後にまたこんな悲惨な事が起るような訳ではどうも行くに忍びない。どうぞチベットへ入っても後にかかる惨事の起らないようにしたいものであるという考えはこの時からして私は充分に持って居りました。

かくも仏道を拡むる事を本趣意とせられて居る尊とうときお方が、かかる奇禍きかを買い悲惨なる処刑に遇いながら人を怨まず天をも咎とがめず自若として往生おうじょうせられたという尊者の大量に至っては、これ仏教者の共に欽慕きんぼすべきところでございましょう。


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チベット旅行記14 高僧の臨終

高僧の臨終
 で、その宣告を受けて死刑に処せられた日は我が明治二十年の陰暦六月の何日であったか日は分らないが、六月の某日に同尊者はチベットの東方にコンボという国があってその国にコンボという大河があります。実はブラマプトラ川であるがコンボの領内を流れるからその土地の人がコンボ川と名づけて居るです。

前にも申した通りいつもその第一弟子のシャブズン師が処刑当時の状況を話します時分には、その情真に迫って悲哀の感に堪えぬ様子で私も思わず涙を流して聞いた事でございます。当日尊者はそのコンボ河畔の大なる巌いわの上に白装束のまま坐ざせられて居ります。

そこはいわゆる死刑に処する場所でありますので、尊者は静かにお経を読まれて居った。すると死刑の執行者は「何か望みがあれば言って戴きたい。また何か喫あがりたい物があるならば言って戴きたい」と申し上げたところが

「私は何も望むことはない。ただ経文を少し読まなくてはならぬ。経を読みおわると私が三たび指を弾はじくからその三たび目に私をこの川の中に投じてくれろ」と繩に掛りながら仰せられ、暫く経文を唱えて居られたが神色自若しんしょくじじゃくとして少しも今死に臨むという状態は見えない。ごく安泰に読経どきょうせられて居ったそうです。

 その節この尊いお方が、人に憎まるるためにわずかの罪を口実に殺されるというのはいかにもお気の毒な事であるといって見送りに来て居った人が沢山ありまして、それらの人は皆涙を流して尊者の巌上にござるのを仰ぎ見る者もない位で、中には地に俯伏うつぶせになって大いに声を挙げて泣き立てる者が沢山あったそうです。

ただその諸人が泣くのみかその日の空は曇って霏々ひひとして雨が降り出しました。これ天地もかかる道徳堅固の尊者を無残にも水中に投じて死刑に処するということを悲しむにやあらんと思われるほど、空の色も陰欝いんうつとして哀れげなる光景を呈して居ったそうでございます。

元来尊者は身に赤色の三衣を纒まとわねばならぬ御身分ですが、罪人となって白い獄衣を着けて居られる上に荒繩で縛られたまま静かに坐禅して経を読んで居られましたが、やがて経を読みおわり繩目の間から少しく指を挙げて一度爪弾つまびきをされたその時は、岸辺に群がる見送人は一時にワーッと泣き出したそうでございます。


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チベット旅行記13 

大獅子尊者センチェン・ドルジェチャン
 当時チベット第一の高僧大獅子金剛宝は下獄の上死刑の宣告を受け而しかして死刑に処せられた状態を聞きますに、実に仏教の道徳を備えた御方おんかたはかくもあるべきものかと人をして讃嘆敬慕の念に堪えざらしむる事がございます。

私の説くところはただにその弟子でしのシャブズン師から聞いたばかりでない。その後チベットに入りラサ府において確かな学者から聞きましたものでその話の中にはなかなか感ずべき事が沢山たくさんあります。始めサラット居士こじが帰るや否やチベットに流説が起りました。

その時分に大獅子尊者はもはや自分に禍わざわいの及ぶことを自覚して居られたけれども、ただ自覚して居られただけでその罪から身を免れるということもせられなかった。その尊者そんじゃの意見なるものを聞くに

「私はただ仏教をチベット人に伝うるのみならず世界の人に伝うるのが目的であるから、仏教を教えただけで決して彼が仏法を盗みに来たとかあるいはまた国内の事情を探りに来たということについては一つも私の与あずかり知らぬ事である。

またそういう素振そぶりも見えなかった。我は我が本分を守って仏教を伝えたが為に罪ありとして殺されるならばぜひもないことである」と言って自若じじゃくとして居られたそうです。

 この尊者は実に尊いお方で既にインドの方にも仏教を拡めたいという意見を持って居られたそうです。というのは「もと仏教はインドの国から起ってチベットへ伝播でんぱされたものである。しかるに今はかえってインドでは仏教が跡を絶ってしもうてその影すらも見ることが出来ない。これ実に仏陀及び祖師に対し我々が黙視もくしするに忍しのびないことである。

どうかインドの国へ仏教を布しきたいものである」という考えを持って居られた。それはただ考えだけでなくそれがためにわざわざ人をインドの方へ派遣はけんされた。今ダージリンのグンパールの寺に居らるる蒙古もうこの老僧セーラブ・ギャムツォ師もやはりその派遣者の一人であります。

その外にも同尊者の命を受けて来た者があったがそれほど功をなさなかったという。同尊者はただに人を送るのみならず経文及び仏像、仏具等をインドの方へ送られて仏教を布くの材料に供せられた。それらの点から考えても尊者は宗派的あるいは国際的関係を離れて全く仏教の真面目しんめんぼくの意味を世界に布教したいという考えを持って居られた尊いお方であります。

 日本の僧侶の中には外国布教の考えを持って居る者は沢山ありますが、チベットのごとき厳重なる鎖国においてそういう考えを懐いだいて居らるるというのは真に尊い事であります。こういう尊い心の方であるからサラット居士が行かれた時分にも快く仏教を教えてくれたのでありましょう。

しかるに政府部内にはこの学識深遠にして道徳堅固なる尊者を嫉ねたむ者があって、何か折があればこの尊者を亡き者にしたいという考えを持って居る人も沢山あったそうです。

ところへそういう風説が起ったものですからこれ幸いとその風説を元としてダージリンの方に人を派遣し、だんだん取調べさせたところが、もとより事実でもありかつサラット博士は英領インド政府の依頼を受けて行ったに違いないから事実通りに確かめられて直ちに尊者は捕えられて入獄の身となり、またサラット居士こじに関係のあった他の役人らも皆入獄された。

で罪状いよいよ定まって尊者そんじゃは死刑の宣告を受けました。それは「外国の国事探偵をその寺に住せしめてチベットの密事を漏洩ろうえいしたるが故に汝を死刑に処す」という宣告であります。


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マニ車 ペンダント

マニ車 ペンダント

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大きさ 30mm
材質  銀製



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チベット旅行記12 俗語の良い教師は子供

俗語の良い教師は子供
 まことに好都合の事は昼は学校に行って学問上のチベット語を研究し夜は家に帰って俗語を研究することで、その上また学校へ行くまでの間にも朝御膳あさごぜんの時にもやはりその言葉を学ぶというような訳で俗語の進歩は非常に早かった。俗語を学ぶにはその国人と同居するに限ります。

日に二時間三時間ずつ教師を聘へいして学んだところが到底本当の事は出来ない。同居して居ると知らず知らずの間に覚えることも沢山あります。その中にも殊に俗語の良い教師は男子よりも女子、女子よりも子供で、子供と女子とはどこの国語を学ぶにもそうですが、発音の少しでも間違ったことは決して聞き棄すてにはしない。

あなたの言うのはこういう風に間違って居るとか、どういう風に間違って居るとか、何遍か言う。それがまた面白いと見えて私のよく言い得ない事は向うから発音して聞かせる。こちらは一生懸命になって口の開き方、舌の使い方、歯の合せ方を見ましてその音を真似ようとするけれどもなかなかいけない。

ようやくに真似ることができたかと思うと一日経つとまたその音が出なくなってしまうというような訳で毎日笑われます。その笑われるがために俗語の発音の進みが案外早かったです。

 そういう風にして一生懸命学んで居るものですからわずか六、七ヵ月で一通りの事はまあチベット語で話せるようになった。かえって英語で話をするより楽になりました。日本では英語を二年余一生懸命に学んだけれども外国に出て見ると一向間に合わない。

しかるに英語よりむつかしいかと思うチベット語がわずか六、七ヵ月学んだだけでちょっと話が出来るようになったというのも全く子供や女が喧やかましく教えてくれたからでしょう。チベット語が分るに従ってチベットの事情を聞く事は毎晩の事で、殊にラマ・シャブズン師は非常な話好きで得意になって自分の難儀した話をされた。

このお方はチベットで名高いセンチェン・ドルジェチャン(大獅子金剛宝おおししこんごうほう)というチベット第二の法王〔パンチェン・ラマ〕の教師をして居られたお方の一弟子であります。この大獅子金剛宝センチェン・ドルジェチャンという方は大変高徳な方でチベットではこのお方ほど学問の勝すぐれた方はないという評判であった。

サラット居士こじがチベットに入った時このお方についてほんのわずかの間チベット仏教を学んだそうです。ところがサラット居士がインドに帰ってから英領インド政府の命令でチベットの国情を取調べに来たのであるということが発覚して、サラット居士に関係あった役人すなわち窃ひそかに旅行券を与えた者及び旅宿その他の者が獄に下された。その際にこの高徳なる大ラマも死刑に処せられる事になりました。その時の哀れな有様を聞いて私は思わず落涙致しました。ちょっとそのお話を致しましょう。


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